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早く涼しくならないかな…、と日々感じながら暮らしているスタッフー・まえしろです。さて、早速ですが「その②」ということで、前回に引き続きエイサーについて書いていきますよー。
「エイサー」という言葉の起源については諸説あって、実は現在まできちんとしたことは分かっていないんです。
琉球王朝時代に祭祀で用いられていた言葉を集めた歌集『おもろそうし』の中にある「いろいろのゑさおもろ」の「ゑさ」の部分に由来があるという説もあるし、踊る時の「エイサー、エイサー、ヒヤルガエイサー」という合いの手に由来があるという説もあるんですが、両方とも立証されていないのが現状です。
琉球王朝時代の1400年代後半、朝鮮から琉球に漂着した人々の報告の中に、当時の盆の時期に「仮面を着用して笛や太鼓で囃しながら王宮に向かう現地の人たち」の様子についての記述があったそうで、これが「念仏踊り」の影響も受けながら変化したという見方もあります。
近代以降からはポピュラーな民謡の要素も取り入れつつ、さらに踊りの振りも変わっていきました。
そして、今我々がイメージする「これぞエイサー!」という形が確立するきっかけになったのが、1956年のコザ市(現沖縄市)誕生を機に始まった「エイサーコンクール」でした。
実はこれが前回に紹介した「沖縄全島エイサーまつり」の原型なんですね。
太鼓を持つ人を増員して派手な“映え”る衣装を着て、ポップス的な歌も導入して、不特定多数の観衆に見せて楽しませるための色んなアップデートがされてきました。ここから、エイサーが地域の青年会活動も担うようになり、もともとはエイサーを踊っていなかった地域にも広がっていったという経緯があります。
前回も触れた沖縄市では、旧盆期間中に各地の青年会がコンビニ・スーパー前の駐車場、住宅地の小路など、あちこちで演舞を披露します。建物がひしめく街中で鳴り響く太鼓の音や、間近で見る踊りは文字通りド迫力で、1度味わうと忘れることが出来ません。これがいわゆる「道じゅねー」です(今回の写真は2年前の旧盆の時に撮ったもの)。
この空間を地元の人たちとともに共有すると、沖縄の夏の風物詩としてのエイサーを存分に堪能した、という達成感に満たされると思います(たぶん)。
そして忘れてはいけないのが送り盆の夜、地域の決まったポイントで青年会同士が踊りや太鼓の音の大きさなどを競って行う「ガーエー(闘い)」。これは言わば“エイサーのダンスバトル”で、深夜にやることが多いにも関わらず、1,000人を超える観衆が集まる程の人気っぷりです。
わたしは那覇出身で、あまりエイサーに馴染みがなかったこともあり、このガーエーを目の当たりにした時は同じ沖縄の人間なのに、かなりのカルチャーショックを受けました。それくらいのインパクトがあります。
沖縄市以外の県内の人にもあまり馴染みはないんじゃないかと思います。なので、ガーエーを体験したら立派な沖縄通と言ってもいいかも。
ここらで、ちょっとエイサーのバリエーションや構成要素などにも触れておきましょうか。
エイサーと言えば、ほとんどの人が大太鼓を力強く叩く男たちを思い浮かべるかと思います。実際に現在は太鼓踊りが圧倒的に多いのですが、実はいくつかのバリエーションがあります。例えば、本島北部の一部地域では太鼓を持たずに踊る「手踊り」の形のエイサーが残っている地域も多く、中には三線も使用しないというスタイルもあったりします。
エイサーは三線で弾き語りをする「地方(じかた)」と踊り手たちで構成されています。
その踊りのタイプは、男性による太鼓踊り、女性だけの手踊り、男女混交の手踊り、そして男性のパーランクー(手持ち太鼓)踊りです。最近は女性が大太鼓を持つ風景もよく見かけるようになりました。とても良いことだと思います。
あっ、それと盛り上げ番長の「チョンダラー」も忘れてはいけませんね。顔を白塗りにして、ちょこまかしているアイツです。言う慣れば沖縄版のピエロみたいな感じで、ずっとおどけているようには見えますが、観客を盛り上げたり、隊列を整えたりで、実はエイサーを熟知していないとできない役割なんです。
てな感じで、今回はエイサーについてサクッと触れてみました。
興味を持ったら是非現場で太鼓の響きを浴び、熱気を体感し、そしてオリオンビールも飲みながら堪能してください笑。
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